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この土地には古くから

この土地には古くから人が住んでいたが、紀元前2000年頃にギリシア語を話す人々が侵入しミケーネ文明を築いた。紀元前10世紀ころからはスパルタ、オリンピアをはじめとするポリス(都市国家)が成立したが、中央部のアルカディア地方の山岳地帯ではポリスの形成が遅れた。紀元前431年から紀元前404年にかけてのペロポネソス戦争では、この地のポリスはスパルタを中心としてペロポネソス同盟を組み、アテナイを中心とするデロス同盟に勝利したが、スパルタの衰退とともに同盟諸国も力を失っていき、紀元前2世紀にはローマ帝国の支配下に入る。

中世にはいってからはペロポネソス半島はモレアスΜωρέας(桑の葉Μωρέαに由来)とよばれ、ローマ帝国の支配を引き継いだ東ローマ帝国の支配下におかれたが、6世紀から200年ほどスラヴ人に東部沿岸・山岳地帯を除くその大半を占領された。1205年には十字軍の南フランス騎士が半島を征服してアカイア公国を建国し、その一方でヴェネツィア人はピロス、メソニ、コロニなど半島沿岸の港湾都市を占領し拠点として支配した。東ローマ帝国は1262年にアカイア公国からスパルタ近郊のミストラス、モネンヴァシア、マニなど半島南東部を獲得し、ミストラスを中心に半島の再征服に乗り出した。14世紀にはパレオロゴス王朝の皇子が専制公として統治する行政体制、いわゆるモレアス専制公領が発足し、政治・文化的に著しい発展を見せた。15世紀にはアカイア公国を滅ぼして最盛期を迎えたモレアス専制公領は1460年のオスマン帝国による侵攻と併合で終焉を迎えた。ヴェネツィアは半島の一部1540年までと、1699年から1718年にかけて支配したが、オスマン帝国による支配はマニ半島における散発的な反乱を除き、揺るがなかった。

ペロポネソス半島はギリシャ独立戦争の舞台となった。オスマン帝国に対するギリシャ側の反乱は、1821年3月21日に半島南部の都市カラマタが反乱側の支配下に入った時点から始まった。独立戦争における転換点となったのは半島西岸のピロス沖で戦われたナヴァリノの海戦である。半島東北部に位置するナフプリオは独立ギリシャの首都として第一回議会が開催された。首都はその後アテネに移動した。

19世紀に入り、農業に基盤をおき経済的に困窮した人々はアテネなどの都市部、またはアメリカ合衆国、オーストラリアなどに移住した。第二次世界大戦と戦後に発生した内戦はペロポネソス半島に大きな被害を与えた。戦時中のゲリラを基にするマルキストとそれに対する政府側の間で残虐な争いが生じた。ギリシャがEUに加盟し、半島内の旅行が解禁された1981年以降には状況は改善されたが、現在でもギリシャ国内における最貧困地域である。政治的にはギリシャ内における最も伝統主義的、保守的な地域であり、右派新民主主義党の基盤となっている。

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2008年11月12日 11:32に投稿されたエントリーのページです。

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