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2009年03月 アーカイブ

2009年03月06日

水虎(すいこ)

水虎(すいこ)は、中国や日本の水の妖怪。日本と中国では妖怪像がまったく異なる。

中国の古書『本草綱目』に記されている、湖北省の川にいたという妖怪[1]。外観は3,4歳の児童のようで、体は矢も通さないほどの硬さの鱗に覆われている[2]。普段は水中に潜っており、虎の爪に似た膝頭だけを水上に浮かべている。

普段はおとなしいが[1]、悪戯をしかけるような子供には噛みつき返す[2]。この水虎を生け捕りにすることができれば、鼻をつまむことで使い走りにすることができるという[2]。

鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』でこの記述を引用しており、水虎の鱗をセンザンコウにたとえて表現している。

日本の水虎
日本には本来、中国の水虎に相当する妖怪はいないが[2]、中国の水虎が日本に伝えられた際、日本の著名な水の妖怪である河童と混同され、日本独自の水虎像が作り上げられている[1]。

日本では水虎は河童によく似た妖怪[1]、もしくは河童の一種とされ[4]、河童同様に川、湖、海などの水辺に住んでいるとされる[4][5]。体は河童よりも大柄かつ獰猛で[4]、人の命を奪う点から、河童よりずっと恐ろしい存在とされる[1]。

長崎県では年に一度、人間を水中に引き込んで生き血を吸い、霊魂を食べて死体にして返すという[1]。青森県では子供ばかりを襲い、水遊びをしている子供を水中に引き込み、命を奪うという[1]。琵琶湖付近や九州の筑後川付近では、水虎が夜更けに悪戯で人家の戸を叩いたり、人に憑くこともあるという。

水虎が人間を襲う理由は、水虎が龍宮の眷属であり、自分の名誉を上げるためとされる[1]。また水虎は48匹の河童の親分であり、河童が人間に悪事を働くのも自分の地位を水虎に上げてもらうためとされる。

撃退する方法として、水虎に血を吸われた人間の遺体を葬らずに、畑の中に草庵(草で作った簡易な小屋)を作り、その中に遺体を板に乗せて置いておくという方法がある。このようにすると、この人間の血を吸った水虎は草庵の周囲をぐるぐる回り始め、遺体が腐敗するに従い、水虎の肉体も腐敗するとされる。水虎は身を隠す術を使うため、姿を見せずに声が聞こえるのみだが、水虎の体が腐りきって死に至ると、ようやく姿を現すのだという[4]。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

また、水虎を避ける方法として、家に鎌を立てかけておく、麻殻や大角豆を家の外に撒くなどの方法もある。

地方によっては水虎は河童の別名のような感覚で用いられており、水虎を捕獲したという記録が、河童状の絵とともに残されている事例もある

2009年03月21日

東京対北陸夜行列車の沿革

1959年7月18日 臨時列車として、上野 - 金沢間を信越本線経由で運行する夜行急行列車「黒部」の運行を開始。
1960年 「黒部」定期列車化。
1965年10月1日 上野 - 福井間を信越本線経由で運行する夜行急行列車「越前」の運行を開始。
1968年10月1日、「黒部」の経由地を上越線長岡駅経由に変更。同じ区間を運行する急行「北陸」の季節列車となる。
1975年3月10日の改正で、寝台特急「北陸」の補完を目的に現行の運行経路(上野 - 金沢間、上越線経由)で「能登[2]」の名称を与えられる。
スハ43系客車・10系客車・スロ62形客車を主に使用し、荷物車のスニ41形を併結した。
1982年11月15日 上越新幹線開通によるダイヤ改正で、「能登」の経路を上越線経由から信越線経由に変更。また「越前」が臨時列車に格下げ。
座席車・寝台車を混成した14系客車の編成で運転され、マニ50形荷物車も連結。車両の担当は金沢運転所である。
1985年3月14日 車両の担当を金沢運転所から尾久客車区(現・尾久車両センター)へ移管。
1986年11月1日 小荷物輸送の全面廃止により、荷物車の連結を終了する。
1987年4月1日 国鉄分割民営化により「能登」は東日本旅客鉄道(JR東日本)の担当となる。以後1993年の電車化までJR東日本が車両を担当。
1989年7月 「能登」、快速「のと朝市号」の名称で七尾線七尾駅まで臨時延長を行う。
14系寝台車3両と14系座席車1両の編成で、牽引機はDE10形を使用。
観光シーズンのみ延長運転、秋には輪島駅まで運転。七尾線への延長運行は1992年まで行う。
1993年3月18日のダイヤ改正に伴い、「能登」運行形態を大幅に変更。
みかんいろ バリトン サーファ マスター ハンディー ニュルン すみのえ ロフルス タラップ ステン ハート フォロワー ダイヤ ディク ランド パーク カーブ シャト ラン トップ とうたい ジャン ルー メルク ニックス カレワ とうみょう ぶきいろい ディッシュ ラベル タオイズ ダイアモンド ショウ ベッド おじま ハイボー タイプライ 宇宙ステー ピンタック オートクチ ティンカー カラム モッコク ヤード きくらげ トータル ケトン ヒョウ メンバー チャンネル

従来臨時急行として運行していた「越前」を統合する形で福井駅発着に。
14系客車での運転を終了し、特急形電車489系電車による運転となる。エル特急「白山」(上野 - 金沢)と共通の車両で、同時に寝台車連結を終了して全車が座席車となり、寝台特急「北陸」との差別化がなされた。これに伴い、車両の管轄がJR東日本から現行のJR西日本へと変更。
このとき廃止した上野 - 長野間の夜行急行列車「妙高」のダイヤを踏襲し、下り列車の高崎線内の停車駅を増加。
1997年10月1日の北陸新幹線(長野新幹線)開業に伴う信越本線・横川 - 軽井沢間の廃止により、「能登」が再び上越線経由に。
長野新幹線の工事中は、週1回上越線経由(迂回区間は客扱いせず)で運行。
2001年3月3日のダイヤ改正で、「能登」の運転区間が金沢駅までに短縮。運転区間が寝台特急「北陸」と同一に。
2002年12月1日のダイヤ改正で、「能登」下り列車の高崎線内の停車駅を削減。併せて上野駅発車時刻を30分ほど繰り上げ、ホームライナーなみの通勤客輸送自体は減少。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響により2005年3月24日まで運休。
年末年始の帰省客のために、2004年12月30日から2005年1月3日までの期間に限り通常の区間で運転。
2005年2月11日より3月11日までの金曜日・土曜日および3月18日から3月20日までの間に出発し、北越急行ほくほく線を経由する臨時列車「能登91・92号」が運行。
ほくほく線経由の運行では、途中駅で運転方向が変わる「逆編成」区間がないため、JR西日本管内では通常と逆の編成で運転された。このため、運行開始前と運行終了後に、「能登」で運用する489系電車を金沢から大阪まで回送し、宮原操車場・北方貨物線・大阪駅経由で方向転換を行った。
2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震の影響(信越本線一部区間の運転見合わせ)により、同年9月12日まで運休。9月13日発より運転再開。

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